この活動を始めたきっかけ
祖母と過ごすため、海外生活から地元へ
高校を卒業してからほとんどを県外または海外で生活していた私が、地元群馬に戻ろうと決意したのは祖母の存在でした。豪華客船の仕事は約8か月間船内暮らし、2か月休暇。その都度日本に帰国するので、今までよりは実家に顔を出す回数が増えているなと思っていました。
2019年、クルーズを終え帰国した私に、当時98歳の祖母から「次はいつ行っちゃうんだい?おばあちゃん寂しいよ」と言われたとき、何か今までとは違う感覚に襲われました。それは、祖母が明らかに年老いて見えたのか、大好きな祖父が病気で弱っていた時に会えなかった後悔なのかわかりませんが、あとどれくらい祖母と過ごせるだろうという不安が大きかったです。
100歳を目標にしていた祖母と一緒に過ごすため、帰国後、祖母の住んでいる母屋にて「あさ リメディアル整心体院」を開院しました。初めての自営なので準備等とても大変でしたが、祖母の専属マッサージセラピスト兼、町のセラピストとして奮闘しました。開院後すぐにコロナが流行し、数か月間休業していた期間も、今となれば毎日のように祖母と暮らせる大切な時間でした。
そんな祖母が100歳と3か月で亡くなるまでの約2年間は本当に楽しくてあっという間でした。
祖母の死と、私のこれから...
祖母が亡くなってからしばらくの間は、私の中にぽっかりと穴が開いてしまったような感覚がありました。仕事前、休憩中、仕事終わりに祖母と戯れていたリビングに誰もいないということがこんなに寂しいことなのかと、仏壇に話しかける日々が続きました。
祖母の死から3年が経ち、海外の友人たちからそろそろ戻ってこないかと話があり、私自身も今後について考えるようになりました。まだまだ海外で活躍したい、でも、実家の両親やお客様はもちろん、帰国してから築いた友人関係ももっと大切にしたいという葛藤の中、40歳という節目の誕生日を家族全員で過ごすことができたおかげで家族のありがたみを感じ、地元の繋がりやあたたかさも感じることができました。
祖母が亡くなる前に、「森家はあーちゃんがいれば大丈夫だ!後は頼んだよ」と何度も言われていたことや、両親共に70代になり、二人の妹は東京とオーストラリア住み、三姉妹の長女として、みんながいつでも集まれる実家は私が守っていきたいと決意しました。
地元、大泉町とともに。
これからは地元の大泉町で生きていこう!と決意してから、一番下の妹が妊娠、里帰り出産になったので様々なことを調べ始めました。自治体によって補助金などの制度が違うことや子育て政策の差など、今までは気にも留めていなかったことでしたが、こんなに違うものなのかと驚きました。それと同時に、私と同世代の他県の市長が議会で奮闘している姿をメディアで目にしたことから、まったく興味のなかった議会や町の政策に興味を持ちはじめました。
「大泉町にいてもつまらなくない?」とよく聞かれ、正直、自分でもつまらないと思っていましたが、この頃になると「つまらないんだったら、楽しくすればいいんじゃない?」と考えるようになり始めました。どうにかなるのを待ってるだけでは何も変わらないなら、自分が動き出したらいいじゃん!というポジティブ思考が大爆発した瞬間、私は町政に挑戦しようと決意し、みんなで前を向いて進んでいこう!という気持ちを込めて「MOVE ON!おおいずみ」を立ち上げました。